生と死を分けるもの。理研の笹井氏自殺事件について。

昨日の俳優ロビン・ウィリアムス死去のニュースもありましたが、STAP細胞の不正論文問題で苦しい立場にあった理研の笹井氏の自殺も思い返しました。

理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB、神戸市中央区)の笹井芳樹副センター長(52)の自殺を受け、理研の加賀屋悟広報室長は5日午後1時50分ごろから、文部科学省で記者会見。笹井氏について「疲労困憊(こんぱい)。心身ともに疲れていた」などと語った。
MSN産経ニュース

お盆の時期は人の死について考えさせられる

日航機墜落事故から30年を迎える今年は、テレビで特番をやっていました。乗客・乗員254人のなかで生き残ったのが4人だけ。生と死を分けたものは何だったのだろうかと思いながら見入ってしまいました。

少し前には、広島・長崎の原爆投下の記念平和式典があり、また今年は私の祖父が亡くなり、しぜんと子供たちに死について話す機会も多くありました。

祖父の死から数えて49日より前なので新盆とは言わないのかもしれません。しかし8月のお盆期間は人の死について考えさせられます。

苦しければ逃げたっていい

少々懐かしいが、バンド「THE 虎舞竜」で「ロード」というヒット曲を生み出した、高橋ジョージさんは、中学生の時に自殺未遂をしたことがあるという。

両親が離婚し、片親となった高橋少年に、火事になった学校の放火犯の容疑がかけられた。毎日刑事が家に来て、家がさながら取調室のようだった。近所の人も学校のみんなも、高橋少年を放火犯だと信じて疑わなかった。

ある夜、踏み切りをくぐって、線路に寝転がったんですよね。死のうかな、と思って。死んでオレを疑うやつらに当てつけたかった。みんなからイジメられて、自殺したんだと。オレの死亡記事を新聞で読んで反省しろと。

レールに耳をあてていると、列車が近づいてくる音がかなり遠くから聞こえてくるんですよ。その音を聞いているうちに、このレールは東京までつながっているんだなと感じたんですね。このレールをたどったら、東京に行ける。

それからどれくらい時間がたったのか。立ち上がって、通りすぎる列車を見送ったとき、不意にムカッときたんですよ。なんでオレがこんな疑われて、疑われたまま死ななきゃいけねえのって。

「わたしが子どもだったころ1」より

わたしが子どもだったころ1

結局、半年ほどたって放火の真犯人は捕まったという。しかし、高橋少年は自分を疑ってかかった故郷を捨てて、レールの先につながっていた東京に単身上京した。

彼はそのとき、死の恐怖からも逃げ、窮屈な田舎からも逃げたのかもしれない。でも、結局は好きだった音楽の道で成功することができた。挫折は人を強くするし、逃げたっていいんだと教えてくれる。碁で負けたら将棋で勝てばいいんだ。

その後、高橋ジョージは40年近くが経ってから番組の企画で、母校で後輩たちを前に「ロード」を歌った。そして母校の後輩たちにこう言ったという。
「みんな好きなことがあるでしょ。オレは一番好きなことで失敗する人生ならいいと思ったの。だから東京に行こうって。」

きっと先輩からの素敵なメッセージは、子供たちに届いていると思う。

気になるまとめ

生と死を分けるもの、生と死を分ける瞬間というのは、紙一重の何かが左右するんだろう。理研の笹井氏の自殺は、心理的に逃げ出したい気持ちが強くあったにもかかわらず、それを周囲の環境や職場の地位、これまでの実績がそれを許さなかったのだろう。

いざとなったら、逃げ出すことも勇気だと信じたい。そして、それができるくらいに背負っているものは軽いほうが幸せなのかもしれないと感じた。

昨日書いた、うつ病に罹ったかつての同僚のことをあらためて思い返してしまう。どうか、どこかで元気で、好きなことをして暮らしていて欲しい。そして、できれば将棋に勝っていてくれればと・・・。
【参考】ロビン・ウィリアムズ氏が死去。鬱病は人を死に追いやる恐ろしい病気

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする