YouTubeにアップされる動画には、心が安らぐようなものから、気分が悪くなるものまで、様々な動画があります。
気分が悪くなる動画として「小さな女の子からボールを横取りする女性」があります。
最後の一瞬、少女に救いがもたらされます。注意してご覧ください。
ボールを横取りする女性ファン
映像にはミニッツメイド・パーク(アメリカ・ヒューストンの球場)とあるので、MLBでかつて松井稼頭央も所属したこともあるアストロズのファンの女の子でしょう。
ボールボーイからプレゼントとして、スタンドの女の子にむかってに投げ入れられたボールを、隣の女性が横取りしているように見えます。
ボールを横取りされて、自分の席に引き上げる少女にはお構いなしで友人と喜ぶ女性。
とぼとぼと階段を昇る少女に、目を合わせないようにする他の観客の顔が悲しさを増幅させます。
こんな光景を見かねた、球団職員でしょうか?
父親にボールを渡そうとしている姿が一瞬だけ映しだされます。しかし、当の少女はそっぽを向いていて応じようとしていないように見えます。心を閉ざしてしまったのでしょうか。
アメリカの球場はボールパークと呼ばれ、ベースボールを楽しむ場であることがよく知られています。そのような場で小さな悲劇が起こってしまったことに心を痛めたファンも少なくなかったことでしょう。
力こそ全てはアメリカの象徴なのか?
これに、関連付けて論じるのは、少々ずるいのかもしれません。
しかし、私は国際社会において米国が歴史的に引き起こしてきた「おしつけがましい親切心」の背景に、力が強いものが、どんなことでもルールを決めて良い。といった傲慢な態度を隠すことができないと思っています。
ずっと、議論がなされている銃所有の撤廃についても、根本的にはこの「力がないものは屈服しなければならない」というアメリカの基本理念が壁として立ちはだかっています。
どんなに痛ましい事件が起きて、何度となく銃を規制しようとしても駄目でした。きれいごとではなくアメリカとアメリカ人には「最後は力がモノを言うんだ」という思想めいたものが根底にあるのだと思います。
先ほどの動画に戻れば。ボールを奪い取った女性はすでに強いアメリカの(社会的に)マジョリティーなのでしょう。日本であれば、どうかしちゃっている大人としか写りません。近くに小さな子どもがいるとしたら、すっとその子にボールが来るように身を引くでしょう。
先日閉幕した、ブラジルワールドカップの開場では、負けた日本のサポーターがゴミ拾いをしてから引き上げている姿を賞賛する海外の報道がありました。日本の感覚で言えばごく自然な行為でしょう。開催国に対する好意ともいえます。2020年に東京で行われるオリンピックにおいて日本が示さなければならないのは、「コンパクトシティ構想」でも「おもてなし」でもなく「みっともなくない振る舞い」なのではないでしょうか。
球場で大人にボールを奪われた少女のふてくされた横顔が気になります。「欲しいものは力で奪い取る」「結局、最後は力がモノを言う」という気持ちが芽生えてしまって、さらなる負の連鎖の始まりとならないことを祈りたい気持ちです。