祖父の納骨を終え思う。葬儀は残された家族のために行うもの。

今年の夏に祖父が亡くなったことは、葬祭・葬儀の費用について・・、祖父が亡くなりましたで書きました。

ようやく寝苦しさから解放され始めた夏の終わりに四十九日法要(納骨)を行ないました。

お経よりも孫の合唱

葬儀・葬祭は完全に形骸化していて、故人のためというよりも、残された家族が義務的に行っているものだな、ということを改めて思いました。

祖父の「人となり」を知る由もないお坊さんから読んでもらう、「ありがたいお経」を果たして祖父は喜んでいるのだろうか。

生前、好き好んで聞いたこともないお経よりも、集まった孫・ひ孫たちが、祖父のために歌でも合唱したほうがよっぽど気が利いていて、祖父自身も喜ぶと感じます。

簡素化していく葬祭

グローバル化というほど大袈裟でなくても、人が生まれ育った土地で生涯を終えることが少なくなっています。

当然、檀家とお寺という関係も時間が経つにつれて、希薄で危ういものにならざるを得ません。

今回、葬儀を一通り終えることができて、ホッとするとともに。改めて、形だけを整えた、世間体だけを気にした葬祭は意味がなく、残された家族にとっては、金銭的にも時間的にも負担が少ない簡素な葬祭が主流になっていくだろうと実感しています。

気になるまとめ

もし、私が祖父の立場であっても、残した家族の負担が少ない方を選択すると思います。

お経ではなくて、好きなアーティストの曲でもかけてくれたら嬉しいかな。